「もののけ姫」見ましたか。私、4回見ました。大流行したから見た人も多いんじゃないかな。
あれの元はギルガメシュ叙事詩ですよ。5000年前のシュメール人の物語が現代人に訴えるパワーを持ってるんだね。
ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。
当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。
英雄ギルガメシュは町を建設するために木材が欲しい。そこで、レバノン杉、このレバノン杉はまた後々でてきますからよく覚えておいてください、そのレバノン杉の森に木を採りに出かける。ギルガメシュは親友のエンキムドゥという勇士とともに旅立つんです。祟りがあるから止めとけ、という周囲の制止を振り切って。
ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森にやってきて、その美しさに立ちつくす。
美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。
しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。
「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」
森の中に入っていくとそこには森の神フンババというのがいて、森を守るためにギルガメシュたちと闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」。
その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。
「もののけ姫」と同じでしょ。
エンキムドゥが「たたら場」のエボシ様、フンババがシシ神、首を落として桶に詰めるところまで同じ。
ギルガメシュ叙事詩では、フンババが殺されたあと「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれている。
「もののけ姫」では、シシ神の体から流れ出たどろどろのものが山を焼き尽くす。宮崎駿の解釈なんだろうな。
エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ様は、狼の神モロに片腕を食いちぎられるだけですんでいますがね。この辺、優しい解釈だね。
人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊する、森を破壊しなければ生きていけない。
しかし、森を殺せばそれは必ず人間、人類といっていいかな、にそのしっぺ返しは来る。どうすればいいのか。森とともに生きる道はないのかと「もののけ姫」ではアシタカが苦悩するまま、解答なしで終わります。
5000年前にすでに、自然破壊の問題が起こっていたということは、しっかり覚えておいた方がよい。
照明を明るくする → 生産性が上がった
照明を暗くする → 生産性が上がった
この結果から導き出されたのは、照明の明るさが生産性に与える影響ではありませんでした。この結果が発表されたことで有名になった仮説は「人は自らが研究対象として注目されていると感じると生産性を高める」というものでした。