地球上どこに住んでもやってける人とは
性格や人格、価値観、文化、歴史…そういうものを含めた相互理解を醸成できる人だ。
まず相手と自分が“違う”ということを知り、相手に偏見のないフラットな興味を持てること。次に自分のことをよーく理解していること。できれば自分達の文化や歴史(いわゆるルーツ)についても理解していること。さらに相手と自分の違いをテーブルの上にさらけ出し、お互いに『言語で』説明し認識することができること。最後に、違いを把握した上で「じゃあどうすっぺか?」という未来や落とし所を指し示せること。
これが自然にできる人は本当に地球上どこに住んでもやってけると思う。
名無しグラビアの名前探しには、以下のTinEyeというのが結構使えますよ。
「もののけ姫」見ましたか。私、4回見ました。大流行したから見た人も多いんじゃないかな。
あれの元はギルガメシュ叙事詩ですよ。5000年前のシュメール人の物語が現代人に訴えるパワーを持ってるんだね。
ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。
当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。
英雄ギルガメシュは町を建設するために木材が欲しい。そこで、レバノン杉、このレバノン杉はまた後々でてきますからよく覚えておいてください、そのレバノン杉の森に木を採りに出かける。ギルガメシュは親友のエンキムドゥという勇士とともに旅立つんです。祟りがあるから止めとけ、という周囲の制止を振り切って。
ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森にやってきて、その美しさに立ちつくす。
美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。
しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。
「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」
森の中に入っていくとそこには森の神フンババというのがいて、森を守るためにギルガメシュたちと闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」。
その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。
「もののけ姫」と同じでしょ。
エンキムドゥが「たたら場」のエボシ様、フンババがシシ神、首を落として桶に詰めるところまで同じ。
ギルガメシュ叙事詩では、フンババが殺されたあと「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれている。
「もののけ姫」では、シシ神の体から流れ出たどろどろのものが山を焼き尽くす。宮崎駿の解釈なんだろうな。
エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ様は、狼の神モロに片腕を食いちぎられるだけですんでいますがね。この辺、優しい解釈だね。
人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊する、森を破壊しなければ生きていけない。
しかし、森を殺せばそれは必ず人間、人類といっていいかな、にそのしっぺ返しは来る。どうすればいいのか。森とともに生きる道はないのかと「もののけ姫」ではアシタカが苦悩するまま、解答なしで終わります。
5000年前にすでに、自然破壊の問題が起こっていたということは、しっかり覚えておいた方がよい。